小川みどりです。
11、クリアできなかった課題は再びやってくる
結婚したらすぐに子どもが産まれると思っていた私が不妊に5年間悩んだことは前回の記事に書きましたが、その間に心の成長を余儀なくされた出来事がありました。
実家の母が闘病生活をすることになったのです。
夫の薦めもあり里帰りして、実家の美容室を手伝い、夕方からは車で片道100キロを走り入院している母の看病。
北海道の道路はどこまでも真っ直ぐで、地平線を追いかけるように運転していくと道路と地平線が十字架のように見えて、自分も真理の道を真っ直ぐ進んでいこうと誓う毎日。
実際の人生はくねくねとまがってでこぼこだらけですが、それでも自分が歩いた道を思うと愛しいです。
ホリスティックな自然療法で病床の母のケアをするととても気持ち良さそうに眠るのを、安心して見ていました。
実は父も同じ病で先立っていましたので、ここで母を死なすわけにはいかないと、できることは何でもしました。
西洋医療メインではあるものの、母は直接上江洲先生の遠隔ヒーリングをお願いしていたので、それに加えて免疫をあげるために良さそうなものを貯金をはたいて購入したり、学び仲間と密に連絡を取り合い病状に応じてできることや、お医者さまの診断を分析したりしました。
母が命を繋ぐ要でもある担当医からは、見通しは暗い状態だと言い切られていましたが、病気について調べては少しでも彼からポジティブな言葉を引き出せるような言葉がけをして、生存率の可能性を上げていきました。
パートナーである夫は病に伏せた経験があり、かなりシリアスな場面に何度も直面していたため、夫のアドバイスは心強いものでした。
夫の生きた言葉が遠く離れた私の母を生かす道しるべにもなり、つくづくご縁というのはすごいものだと感じます。
日帰りで毎日3時間の運転は若かったからできたなあと思いますが、タイトルにある、クリアできなかった課題が再びやってきたと直感し、真摯に取り組みました。
クリアできなかったことというは父の死です。
あのとき私にもっと知識があれば、父を助けてあげられたかもしれない。何もできないまま、実感もないまましばらく入院生活をしたのち、真冬の寒い夜に旅立ちました。
付き添いで病院に泊まり続けた私は、知花先生の講話カセットをラジカセで父と聴きました。痛みで苦しみながらも熱心に聞き入り、もともと信心深い人で、鎮痛剤で朦朧としながら夕陽に向かって手を合わせ涙をながしたときの美しさは今も私の心に残っています。
でも今それを母と迎えるわけにはいかない。父の最期に悔いが残っていた私は必死でした。
母本人には実際のところを告げずにいましたが、病院のベッドでやっと弱音を吐けるようになったのか「私は相当悪いと思う」という言葉に「そうなの?先生からは聞いてないけど」ととにかく身体を休められるように家族、親族でサポートしました。私が母のことに専念できたのは、姉や母の姉弟一族のサポートがあったからです。夫と義父母からも遠くから的確な助言があり、実行する度に治療の山を越えていきました。
10年以上経ちましたが、病気は治り、元気になったので、課題はひとつクリアできたかなと思います。
人が光と一体となる美しさを父の死と引き換えに教えてもらいましたが、死を迎えずとも人の美しさに敏感になれたことは、母の逞しさから学びました。
課題って生きてる以上はなにかと出てくるものです。その時その場でクリアできなくても、必ず取り組めるときがきます。今回は生死に関わる大きな話でしたが、しんどいことばかりとは限らないので、私たちは毎日を丁寧に生きるだけでいいのではと感じる今日この頃です。
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